There's Something Fishy

映画研究、文芸批評、テニス評論

映画と認知心理学

3月6日(月)に神戸大で「映画と認知心理学」についての研究会があった。

プログラムは以下の通りである。いずれの発表もきわめて啓発的でおもしろく、自分自身の研究にとっても非常に示唆的な内容だった。

その際の私のコメントを再構成したので、自分のための備忘もかねて公開しておく。

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領域横断的映画研究の推進 | 神戸大学大学院国際文化学研究科国際文化学研究推進センター

 

前提として、板倉先生のご発表で小津安二郎の『彼岸花』(1958年)について、ある場面に見られる細部の指摘があったことを紹介しておく。これがないと私のコメントの内容がいまいち伝わり切らないだろうと思う。

 

ここでは『彼岸花』が娘の結婚をめぐる物語であることがまずわかっていればよい。映画は「赤・黄・白」の三色を使って結婚のイメージを提示する。この三色が映画の至るところに繰り返しあらわれる。板倉先生が紹介されたのは、そのなかでも特に気づきにくいと思われる箇所である。以下の画像を参照されたい。

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図1 シーンの最初のショットである。赤、黄、白の服を着た通行人が確認できる。

 

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図2 ベンチと広告にそれぞれ赤、黄、白が使われている。

 

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図3 人物二人の着ている服の色が黄色と白色で、ボートの端に赤色が見える。

 

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図4 シーンの最初に見えていた通行人が画面の奥に再びあらわれる。

 

以下、私のコメントである。

 

 小津映画について、松本先生が「そんな細部に誰が気づくのか」という疑問にこだわっておられたことと、橋本先生がこの場で蓮實重彥に言及されたことは徴候的であるように思います。蓮實が作家主義的なアプローチで取り上げた対象が小津であったことは、その手法からして必然的なものです。彼はまさに「普通の映画観客」が気づかないような細部を拾い上げていく批評スタイルで、映画の見方自体を変えようとしました。したがって「一般的な観客」が簡単には気づかないという構造こそが重要なのです。蓮實に倣って言うならば小津映画を前にして人は「瞳を鍛えること」を要請されるわけです。そうしなければその作品を十全に味わうことはできないのだと。

 くわえて、そのような細部を前にして、松本先生がワーキング・メモリーの話をされたこともまた示唆的です。人が気づかないような細部に意識を向けるためには、その分ほかの何かを犠牲にしなければならない。蓮實はそうして小津映画の物語を切り捨てました(もちろんこれは厳密ではない言い方ですが[実は物語を無視しているわけではないので]、彼が戦略的に細部に重きを置いていることは事実です)。

 そう考えると、蓮實が『監督 小津安二郎』を書き上げ、小津映画の世界的な再評価を強力に後押ししたのが、映画のソフト化がはじまる直前の時代であったことが意味を持って立ち現れくることになります。彼以降の世代の読者/観客は、蓮實が桁外れの動体視力を駆使してなしとげた批評(あとがきで彼自身「ヴィデオを用いない最後の映画批評本」を自負しています)を、彼のような特別な能力を備えずとも、ヴィデオやDVDを使って簡単に後追いすることができるからです。小津の再評価には、映画視聴環境の変化が決定的な役割を果たしていたということが言えるかもしれません。

 そうであるとすれば、ソフト化以前の観客、小津の同時代に映画館で封切り作品として鑑賞していた観客は小津をどのように見ていたのでしょうか。当時の言説を紐解いてみても、蓮實のような細部にこだわった批評はほぼ存在しません(だからこそ彼の批評が革命的なインパクトを持ったのです)。

 この問題を考えるには、当時の小津が置かれていた状況を踏まえる必要がありそうです。小津は松竹という会社の枠内で仕事をした職業監督です。特に戦後の彼は会社の稼ぎ頭であり、興行的な成功を強く求められていました。わけても初カラー作品である『彼岸花』では、大映の看板女優・山本富士子を借りていたということもあり、失敗は許されませんでした。そこで物語の水準では誰にでもわかるように(すなわちほぼすべての観客にわかるように)話を展開させ、その一方で画面の背景で実験的な試みを行っていたのではないでしょうか。小津は芸術家であることを強く意識していた監督です。小津映画の後景こそは、彼の芸術家としての手腕が発揮された領域だったのです。そうした二重構造は、細部にいっさい意識を向けない観客を感動・感心させることを可能にします。画面の前景にあらわれる焦点化された主要人物の会話だけを追っていれば、映画自体は十分に楽しめるのですから。

 それでは、小津は自身の芸術家的こだわりは誰にも理解されなくていいと考えていたのでしょうか。後景で展開される狂気じみたこだわりは、単なる自己満足でしかなく、それがたまたま視聴環境の変化(あるいは特異な眼を持った蓮實重彥という例外的な批評家の存在)を受けて、今日脚光を浴びることになったのでしょうか。

 おそらくそれだけではありません。当時の観客の中にも小津の芸術的こだわりを理解できる人がいたのです。少なくとも小津自身はその人たちを意識して映画作りを行っていた可能性があります。その例外的な観客のうち何人かは具体的に名指すことができます。東山魁夷、橋本明治、志賀直哉、里見弴といった小津が一流と認めていた当時の芸術家たちです。なぜそんなことが言えるのか。彼らが小津の撮影現場を見学し、試写会に招かれ、その後文芸誌の座談会で議論していたからです。小津は最初から、確実に自分の映画を見る彼らの存在を強く意識していたのです。だから、大半の映画観客には気づかれなくとも、彼らにだけわかるこだわりは十分に報われえたわけです。数千人の観客の評価よりも、一人の志賀直哉に認められること。もちろん軽々に断言できるような対比ではありませんが、小津は後者の価値を十分すぎるほど感じていました。

 以上の話を総合すると、小津映画を見るときに、実は観客は他の映画とは異なる特殊な見方を要請されていたのではないかという仮説が生まれます(前述の通りそのような見方に通じていなくとも楽しむことはできたという前提で)。じっさい、ボードウェルらが指摘しているように、小津映画には「内在的規範」と呼ばれる独自のルールが存在しています。自分が小津映画を見ていることを自覚している(そのルールを知っている)観客は、そうでない観客とはそもそも異なる映画体験をしている可能性があります。このことを確かめるためには、橋本先生や山本先生が取り上げておられたアイ・トラッキング(視線計測)の技術が威力を発揮するように思います。小津映画に親しんでいる観客と、それをはじめて見る観客(小津の映画を見たこともなければ、小津の名前も知らないような観客)とでは、文字通り、視線の動かし方がまったく異なっているのではないか。これはぜひとも実験する価値のあるテーマだと考えます。

 一方で視線のめぐらせ方が問題になるとすれば、小津映画を字幕付き上映でしか鑑賞できない海外の観客の小津受容は、日本語を解する日本人のそれとは異なる経験にならざるをえません。字幕を読もうとすれば、画面の細部に向けるための注意力が確実に減退します。この前提に立てば、ジャームッシュのように、字幕なしで日本映画の画面の推移だけを見ていた観客の捉え方を区別することすら可能かもしれません。