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There's Something Fishy

映画研究、文芸批評、テニス評論

映画評論大賞2015

拙論「國民的アイドルの創生―—AKB48にみるファシスト美学の今日的あらわれ」が雑誌『neoneo』の主催する「映画評論大賞2015」の受賞作に選ばれました。 

webneo.org

論考の内容は、スーザン・ソンタグによるレニ・リーフェンシュタール批判の枠組みを援用した”潜在的な”AKB48批判です。「恋するフォーチュンクッキー」のミュージック・ヴィデオ(MV)を映像テクストとしてある程度具体的かつ詳細に分析しているのがおそらくはこの論の目玉で、いわゆる「AKB商法」とは別の仕方で批判の可能性を探りました。

今回の論の内容と直接の関係はありませんが、MVの分析および批評可能性について考え始める契機となったのがゲンロン批評再生塾の活動に触れたことでした。とりわけ渡邉・三浦回の課題や塾生のみなさんの提出作品、ニコ生での講評には思考を大いに刺激されました。そのときに自分が思いついたいくつかのアイデアはいつか何かしらの形をとることを夢見て眠ったままになっていますので、どこかで披露する機会があればいいなと思います。

目下のところは是枝裕和の『海街diary』論とピクサーの新作『インサイド・ヘッド』論を準備中で、いずれも近日中の公開を予定しています(それぞれ邦画部門と洋画部門の僕の年間ベストでもあります。年内の発表を目指していましたが、それは難しそうです)。公開後にまた詳細をお知らせします。

それから錦織圭の存在にも一言触れておきたいと思います。批評再生塾の音響回に際して冗談みたいな顔をしてけっこう真面目に書いた錦織論をこのブログにも載せましたが、彼のアイデア溢れるプレーからもいつも多くのインスピレーションを得ています。テニス観戦を通して文章あるいは批評の技術を磨くことは当然可能で、その点で僕が錦織に負うところは決して小さくありません(ドゥルーズも「アベセデール」の「T」の項でテニスおよびスポーツについて語っていましたね)。フェデラーとの今期最終戦では、敗れはしたものの久しぶりに躍動する錦織が見られて、僕も心が躍りました。もし拙論が応募時よりもいいものになっているとしたら、それは雑誌掲載用の最終稿の締切がツアー・ファイナルズの直後だったことと無関係ではありません。

映画研究あるいは映画批評の領域で、自分たちの世代に何ができるのかということを模索している最中ですが、現代的な視座に立った新しい映画史を描く必要性はひしひしと感じています。僕自身はわりと古典的なテクスト分析が好みで、それを中心に具体的な映画作品についての批評的な文章を書くことを好んでいますが、そうした姿勢のうちにも何か新しい観点なり論点なりを打ち出すことは常に考えています。それが具体的にどのような形をとるべきものであるのかは僕にもまだよくわかりませんが、幸いなことに映画研究・批評というのは素晴らしい先行者がたくさんいる領域でもありますので、そうした偉大な先達の知見から大いに学ばせてもらいながら、自分自身の進むべき方向性を見定めていきたいと思っています。

リーフェンシュタールプロパガンダ映画とAKB48を(はっきり言って)ほとんど無理矢理接続させてみたのもそうした試みの一環をなすことになるのだろうと書き終わったあとで自分にも理解できました。準備中の『海街diary』論や『インサイド・ヘッド』論も、多かれ少なかれ自分にとってそうした方向で意味を持つテクストになるだろうと思います。