There's Something Fishy

映画研究、文芸批評、テニス評論

全豪オープン開幕に向けてーーあるいは映画学入門書の効用について

「芸術のスペクトルに含まれておかしくないもののひとつにスポーツがある。ほとんどのスポーツ競技が"主役と敵役"の基本的なドラマの構造をとっていて、そのため劇的な観点から眺めることができる。"筋書き(プロット)"があらかじめ定まっていないために、展開のさまざまな可能性とサスペンスの要素とがいっそう強まり、基本的な"主題"が毎試合繰り返されるために、ドラマの儀式的な様相がいっそう効果的にうちだされる。同じように、大半のスポーツ競技には舞踊にある価値と同じものがいくつか備わっている。映像メディアはのちの研究と娯楽のためにスポーツ競技を記録するだけでなく、競技者と観衆の距離を大きく縮めることによって、ほとんどのスポーツにある舞踊的側面を強く感じさせることにもなった。たとえば、舞踊と体操競技のどちらにもこれまでまるで縁がなかった人が、その両者を目のあたりにしているところを想像してみよう。見ている人に違いを認めさせるようなものは、この二つの行動自体には何もない。スポーツが"意図的でない"こと(つまり、何かを主張するために見せるのではないこと)は、私たち観客の経験のあり方を多様なものにするのである」

 

以上はジェイムズ・モナコ『映画の教科書ーーどのように映画を読むか』(フィルムアート社、26頁)からの引用です。原書の出版は1977年、翻訳の初版が1983年ということで、決して新しいとは言えない本ですが、映画学の入門書としてはボードウェル&トンプソンの『フィルム・アート』と並んで、依然として非常に優れたものであり続けています。

『映画の教科書』の方がより体系的な構造になっていると言うことはできるかもしれまん。それから、映画の技術的な構造や歴史、カメラやレンズの光学的なメカニズムについて詳しく書かれている点も、我々のような非ー作り手にとっては重宝します。デジタル時代の映画を考えるにあたっても、参照項として、すでに多くの観客にとってはある種の他者のような存在になってしまったフィルムの知識を備えておくことは、絶対に必要です(この点については、近日公開予定の『インサイド・ヘッド』論で具体的な実践の成果をお目にかけたいと思っています)。

 

それはさておき、テニスの四大大会の一つである全豪オープンがいよいよ明日18日(月)から始まります。第7シードとして参戦している錦織の初戦は午前9時から開始予定で、相手はドイツのフィリップ・コールシュライバー。世界ランキングは34位。

四大大会のドロー数は128、シード数は32でランキング順に割り振られますから、34位というのはノーシードのなかでは相当上位(というか欠場者の関係で実際にはノーシード最上位)ということになります。相手が錦織が比較的苦手とする片手バックの使い手(他にワウリンカ、ガスケなど。フェデラーはまた別枠かな)だというのも懸念材料。端的に言って初戦の相手としては非常に厄介な相手です。いつものことですが、錦織のくじ運悪すぎ。

四回戦の相手も対抗シードの中では最上位のツォンガを引き当ててしまいました。相性自体は悪くない相手ですが、昨年の全仏四回戦での嫌な敗戦の記憶が残っています。

そして準々決勝の相手は第1シードのジョコビッチ。昨年末のツアー・ファイナルズでは決勝でフェデラーにリベンジして優勝、全豪の前哨戦も決勝でナダルをあっさり退けて優勝しており、向かうところ敵なし状態で全豪に乗り込んできています。

錦織には、まずは準々決勝まで勝ち上がってもらって(それでベスト8)、勝敗はともかく、ジョコビッチに一矢報いるような楽しいテニスを見せて欲しいと思います。

前哨戦のブリスベンでは地元のトミッチ相手に不覚を取ってしまいましたが、逆に言えば常につきまとってきた疲労や怪我の点でアドヴァンテージがあるとも考えられます。

錦織がいったいどんな舞踊を舞ってくれるのか、楽しみな二週間が始まります。

 

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映画の教科書―どのように映画を読むか

映画の教科書―どのように映画を読むか