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There's Something Fishy

映画研究、文芸批評、テニス評論

「小津映画は遅いか?」

いったいどこに向けて書いているのやら、僕自身もよくわからなくなっているこのブログですが、おそらくここを覗いているみなさんが思っている以上にはアクセス数が伸びていて、せっかくなので宣伝や告知に使わせてもらおうと思います。

 

これは僕の所属する研究室が主宰している映画についての電子学術ジャーナルです。今年は僕が編集やデザインその他を担当しています。

CineMagaziNet! no.19

 

最新号には小津映画についてのアメリカ人批評家のエッセイ「小津映画は遅いか?」の拙訳を載せています。

http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN19/PDF/rosenbaum_itoh.pdf

 

原文にはこちらからアクセスできますので、(たぶんないと思いますが)もし誤訳を発見された方はご一報ください。

sensesofcinema.com

 

今のところ漠然と考えているのは、毎年一本か二本ずつくらい小津についての英語論文を翻訳していって、数年後に『小津安二郎英語論集』みたいな形にまとめて出版できたらいいなということです。もちろん、必ずしも単独で出すことにはこだわっていないし、英語圏の論文に限る必要もないものです。一緒に編集や翻訳をやってくれそうな研究者仲間が見つかればぜひ協力して進めていきたい案件です。

 

ちなみに、二年半ほど前にでた『ユリイカ』の小津安二郎の特集号には、当時の指導教員と共訳した論文が掲載されています。エドワード・ブラニガンという、デヴィッド・ボードウェルの弟子筋にあたるアメリカの映画研究者が書いた小津の『彼岸花』(1958年)論で、非常に精緻で読み応えがあります(翻訳文が原論文の意義と美しさを極力とどめていることを願うばかりです)。

 

このブログへのアクセス数が結構あるとは言っても、もちろん知れたものではあります。ですが、今の僕にはそれがちょうどいい規模感だとも感じています。というのは、僕のキャリアにとってなにより重要なことは、まずは書籍化に堪えうる博士論文を完成させることに尽きていて、今の時点で研究者や批評家として世間に名前を売る必要もなければ、そもそも今の自分にそれだけの実力があるとも思わないからです。

先日ご報告した映画評論のようなものは、研究とのバランスをとるという意味で、機会が与えられれば今後も細々と書いていこうとは思いますが、研究との主従で言えばそれはあくまでも従にあたるものです。

ブログにアクセスして、さらにそのうえでリンク先まで見に行って僕の名前や業績まで確認する人はごくわずかでしょう。でも、そこまでしてくれた人には、あるいはそれなりに認知していただけたかもしれません。今の僕に必要なものがもしあるとすれば、そうした少数の確実な認知だろうと思っています。こうした認知が重要なのは、それが二度目の出会いを準備するものだからです。一般論として、人と正しく出会うためには少なくとも二度の機会が必要です。僕がここで夢見ているのは、いつかどこかの学会会場や懇親会会場、あるいはイヴェント会場で、僕の名前がある種の「不気味なもの」として、誰かのもとに忘れた頃に回帰してくるような瞬間のことです。

 

次回の批評再生塾(大澤真幸回)の課題について僕が言えるようなことはおそらくほとんどないと思いますが、もしかしたらまた個人的なベスト3くらいは発表させていただくかもしれません。

ですが、そのまえにまずは錦織の応援です。明日は四回戦で、相手はフランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガ(世界ランク10位)。四回戦でもっともランク差が小さい試合ということで(錦織は7位)、トーナメント全体で見ても注目の好カードです。下馬評では錦織がやや優位という感じですが、手首の不安もあり、こればかりは実際に試合をやってみなければわからないでしょう。故障箇所が悪化するようだと、あっさり負けてしまうことも充分に考えられます。

 

『ゲンロン1』の共同討議で印象に残ったものの一つに、討議のほぼ最後に出てくる大澤聡の「やれたとしてもやるべきではないことが溢れている」という言葉があります。自分が「やるべきではないこと」ばかりをしている後ろめたさを感じながらも、それがどこかで「やるべきこと」に自動的に反転するような事態を待っているのは一応は自覚していて、その自堕落さを御しつつ、早くも残り約11ヶ月となった今年を実のある年にしていきたいと思います。