There's Something Fishy

映画研究、文芸批評、テニス評論

『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2016年)

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 時間とは過去から未来へ向けて直線的に流れるものである。少なくとも、我々はそのような常識に縛られて生きている。だが、果たしてそれは真理だろうか。もしかしたら、人類の思い込みに過ぎないのではないか。

 フラッシュバックと呼ばれるありふれた映画技法がある。過去に起こった出来事を映画の現在時に召喚するための便利な方法として、古今東西の映画で使われ続けてきたものだ。話題の新作SF映画『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2016年)では、この技法を文字通り逆手にとったある仕掛けが観客の心を打ち、「人間とは何か?」というおよそ解かれるあてのない深遠な問いを投げかける。

 映画の冒頭では、世界各地に突如としてあらわれた謎の宇宙船が人々を混乱に陥れるさまが描かれる。言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は、軍の要請を受け、宇宙船に乗ってきたエイリアン(劇中ではその形状から「ヘプタポッド」と名付けられる)とコミュニケーションをはかろうとする。

 彼女は一人娘のハンナを病気で亡くしており、心に深い傷を負っている。生まれてから若くして亡くなるまでの娘との思い出は、しばしばフラッシュバックの形をとって挿入され、その強烈な印象が彼女を混乱に陥れる。

 そのような困難を抱えながらも、彼女は懸命にヘプタポッドとのコミュニケーションを試みる。しかし、彼らの言語は人類のそれとはまったく構造が異なっており、意思の疎通は容易には進まない。試行錯誤の末に得たわずかな手がかりをもとに、ヘプタポッドの言語構造を解明していく過程が映画前半のハイライトをなしている。

 彼らは何のために地球にやってきたのか? 地球侵略を疑う過激派に先んじて平和裡に事態を収めるべく、ヒロインたちはヘプタポッドの「メッセージ」を解き明かそうと奮闘する。しかし、ようやく彼らから得られたメッセージとは「武器を与える」という不穏なものだった。これを機に、強硬姿勢をとる中国を筆頭に、数カ国が武力行使の準備に入る。

 しかしながら、彼らの言う「武器」とは、人類に脅威を与えるようなものではなく、未来予知の能力のことだった。ルイーズは、本人もそれと気づかぬうちに、彼らからその能力を付与されていたのだ。

 彼女は未来を見ることができる。つまり、観客がフラッシュバックだと思い込んでいた映像は、実は未来の出来事を描くフラッシュフォワードだったのである。ルイーズはまだ娘を亡くしてはいない。それどころか、生まれてすらいなかったのだ。

 未来を見通す能力を駆使して中国の軍事行動を止めることに成功したルイーズは、その先の人生で自分の身に降り掛かる耐え難い不幸を知りながらも、なお結婚し、子どもを産もうとする。逆説的なことに、そうすることではじめて現在の彼女が「メッセージ」を受け取ることができるのだ。

 未知の「メッセージ」を解読するためには、未だ書かれざるテクストを透視し、未だ発せられざる言葉の残響を聴き取らなければならない。あらかじめ残酷な未来を宿命づけられた人生を、それでもルイーズは生き抜こうと決意し、映画は終わる。所詮、人類は時間という名の王にひれ伏すほかないのだろうか。しかし一方で、未来からの声が告げる悲惨な運命を前にして、なお敢然と立ち向かこうとする姿勢のうちにこそ、人間を人間たらしめる何かが宿っているのではないか。少なくとも、私は本作からそのような「メッセージ」を受け取った。